とんねるずのオールナイトニッポン編 / とんねるずのおいにい2(つ)~ん
『とんねるずのオールナイトニッポン』のコーナーに寄せられたネタや傑作フリー・トークを再構成しまとめた書籍第2弾。1989年発売。
ページをめくると、『サイキックソルジャー山口』『うんこ山本』『しみじみり~谷村』『リアルちんぽサザエさん』など、懐かしい常連ハガキ職人の名が並んでいる。
文化放送『吉田照美のふっかい穴』内で10分ほどの帯番組『とんねるずの二酸化マンガンクラブ』を持ち、好評を得ていたとんねるずであったが1985年10月、満を持してニッポン放送の『オールナイトニッポン』1部に進出した。
(たしか土曜日にTBS『ちゃだわ王国』もANNより先にスタートしていた番組だったと思うが、前後関係の記憶が定かでない・・・)
『二酸化マンガンクラブ』での名物企画や、強豪ハガキ職人が一堂に会する『常連ギャグマッチ』などはそのままANNに引き継がれた。
文化放送時代の『二酸化マンガンクラブ』も、もちろん大好きな番組で、毎晩聴いていた。
ANNが決定的に違ったのは、やはり2時間の生放送とゆうこと。
初期から黄金期におけるフリー・トークの面白さは、まさに破壊的ですらあった。
テレビ、レコード業界の年末恒例賞レースの最中、あれは有線放送大賞だったか・・・その裏話をオープニングのフリー・トークで披露した回では、夜中に狭い家の中で聴いていて、爆笑しそうなところ、声を殺すのが大変だった。
高校時代、部活の仲間にも2人とんねるずファンがいて、夏休みの合宿中、宿舎の布団に潜り携帯ラジオを囲んで聴いていたこともあった。
欽ちゃん、ドリフまでの、舞台裏を見せない笑いを壊したのが『オレたちひょうきん族』の“楽屋落ちネタ”。とんねるずのANNはそこからさらに踏み込んで、周辺のスタッフをネタにするにとどまらず、とんねるずの母校である帝京高校ネタをこれでもかと投入していったのだ。
本来、楽屋オチは内輪ウケかつ安易な手法。お笑いの禁じ手であったが、とんねるずはそのしきたりを完全無視。同級生や野球部、サッカー部の仲間、監督などを話題に登場させ、まるで昨日起きたことのように描写し、全リスナーを巻き込む大きな笑いに変えていった。
リスナーが知らない同級生のことを延々話す行為は、一歩間違えれば面白くもなんともないダラダラしたネタの垂れ流しになってしまうところ、彼らは持ち前の感性と表現力でねじ伏せ、ひとつの芸として完成させてしまったのだ。
そしてリスナーも、それを通して2人の高校時代を疑似体験し、見たこともない同級生の名前やパーソナリティーを必死に覚え、ハガキのネタにしていった。
ラジオの深夜番組(とくにAM)の生命線は、夜中にひとりでぽつんと聴いているリスナーとの、マスと個を超えた一体感である。
今思えば、ANNのリスナーは帝京ネタを通してとんねるずの擬似的同級生となり、そこで感じた一体感が番組を盛り上げていったのかもしれない。
そして、帝京ネタの盛り上がりには、構成作家であり、とんねるずの2人にとって最高の笑い屋であった帝京の同級生、故・吉野晃章氏の存在が欠かせなかったことも忘れてはならない。
AM2:57 寝ろ!!
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