『1/100 リアルタイプ MS-06 ザク』
今ここ!
表面処理地獄の続きで、画面上代り映えしないから字幕で関係ないこと語っちゃった。
ファーストガンダムの最後に、ア・バオア・クーに沈むホワイトベースから、アムロが心の声で皆を誘導して救って、そんでアムロが行方不明になってそれを救ったのがカツ、レツ、キッカの子供3人。それでアムロが助かって帰還したところで終戦のナレーション入ってガンダムは終わり。
番組の主人公、アムロと終盤のキーマン、ララァって戦士としてニュータイプに目覚めざるを得なかったじゃん。たくさん殺し過ぎたし、ララァは死んでしまった。少年少女だったニュータイプ2人よりさらにいくつも年下で、非戦闘員のカツ、レツ、キッカがニュータイプ的なコミュニケーションでアムロを救って終わりってのは、「未来は、次の世代がもっと分かりあって戦争なくなるよね」ってメッセージと思うのね。それできれいに終わった。っていうか打ち切りになったのも含めてよく着地した。
その後はサンライズのリアルロボット路線が続いて、それぞれ特色合って面白かったんだけど、商業的にガンダムを超えなくて、プラモ売るためにやっぱしガンダムだろ!ってスポンサーの要求があって『Zガンダム』が始まって。
プラモになるモビルスーツが活躍するストーリーってつまり戦争だから、また“分かり合えない人間”を描き続けなければいけない。ファースト最終回のラストをご破算にしなきゃいけないんだよねー。
まあ当時は俺もそんなこと考えてなかったけど。映画版の最後に、グワジンに乗って去るシャアのシーンが追加されたら、ウォオ!って思ったし。
宇宙世紀が平和になって、一切戦闘はせずにコロニー建設とか保守点検に従事するモビルスーツの話ってんじゃ盛り上がらないだろうし。
なんで自分は戦闘シーンを欲してしまうのかって、ジレンマを自覚しながら観る向き合うってのが正しい姿勢なんかなー。