田宮俊作 / 田宮模型の仕事
田宮模型の社長(現:代表取締役会長)、田宮俊作氏による会社奮戦記は、先代が戦前営んでいた運送業から戦争を経て製材業、木製の模型メーカーと形態を変え、その後世界に誇るプラモデル・メーカーになっていく様子がダイナミックに記されていてワクワクする。
木製の模型にこだわっていたのでプラモデル・メーカーとしては出遅れたこと、必要に迫られてプラスチック素材に移行したこと、製品第一号の“戦艦武蔵”で大赤字を出してしまったことなど、最初はいろいろ大変だったようだ。
そこで、起死回生の第二号“パンサー戦車”をヒットさせるのに一役買った人物、画家の小松崎茂氏が登場する。
田宮氏から送られた、会社の苦境を綴った手紙を読んだ小松崎氏の侠気により箱絵を描くことを快諾、箱絵の素晴らしさとモーターライズでよく走る製品の評判が全国の子供達に口コミで広まってゆく様子が書かれている。
その後の、スロットカー・ブームの栄枯盛衰、正確な模型を作るための取材に対する熱意、小学生に長年親しまれることとなるミニ四駆のことなど、読んでいて思わず引き込まれる。
私は小学生のとき“ガンプラ”が世に出る前はタミヤの1/35シリーズやハセガワの1/72シリーズなど、ミリタリーのプラモデルを作っていた(“宇宙戦艦ヤマト”の方が少し先だったかな?)。
それまでも、“ゼンマイで歩行するレッドキング(ウルトラマン)”や“リモコンで歩行、ムギ球で眼が発光するガメラ”のプラモデルを作ってはいたが、それらはまだ超合金のオモチャで遊んでいるのと、塗装などもしてプラモデルを作る行為との中間に位置するような感覚だった(もちろん当時「中間に位置する感覚だなあ」とか思って作ってないぜ。小学校低学年だし)。
塗料や筆まで用意して作ったのは、たしかドイツ軍だったか・・・歩兵のセットだったと思う。
“Mrカラー”の“ダーク・イエロー”でユニフォームやヘルメットを塗装し、次にブーツを塗ろうと筆を洗浄したそのとき!
私は驚愕した。
筆先がカチカチに固まってしまったのである。
まだ“うすめ液”の存在を知らぬ小学校低学年の私は、皿に入れた水道水で筆を洗ってしまったのだ。
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