マリリン・マンソン / ホーリー・ウッド~イン・ザ・シャドウ・オブ・ザ・ヴァリー・オブ・デス (2000)
Marilyn Manson / Holy Wood (In the Shadow of the Valley of Death)
長い。
どのくらい長いかというと・・・この記事を書くために聴きかえすのが大変だったというくらい長い・・・
国内盤はボーナス・トラックが2曲追加され全21曲。収録時間は76分に及ぶ。
ベスト・アルバムやライヴ・アルバムならいいが、オリジナル・スタジオ・アルバムで70分超は長い。
せっかくフックの効いた印象の強い曲も、あまりに長尺なアルバムのイメージに埋もれてしまうのだ。
アナログ・レコードの時代、アルバムは約40分程度の長さで、それは記録媒体の物理的制約を受けての長さではあったが、ひとつの作品と向き合うにはちょうど良い尺であった。
CD時代になって収録可能な時間が増えたからといってそこに曲を詰め込むと、音楽としっかり対峙することが出来なくなる。“ながら”のBGMになってしまうのだ。
まあ、オイラだってピンク・フロイドの『狂気』を聴くときに毎回正座してスピーカーと睨めっこしながら聴いているわけではないけどね。
ラウドネスのニイちゃんが「CD時代になってから、毎回2枚組みアルバムを作っているようだ」という趣旨のことを書いているのを読んだ。
毎アルバム、捨て曲なしで14、5曲も作ることは実力のあるアーティストでも容易ではない。
長時間収録はアーティストを疲弊させるしリスナーと曲との関係、密度を薄くするし、そんなに良いことではない気がするのだが。
ビートルズ、ストーンズ、ツェッペリン、ザ・フーをはじめとして、ロック・ジャイアンツたちはそのキャリアの中で2枚組みアルバムを作っている。‘90年代のスマッシング・パンプキンズしかり。
ただそういった作品を作ることはそう何度もやることではないし、2枚組みだとアルバム全体の世界観とともに、それぞれのディスクの中で起承転結があったりして聴く上でも意識の切り替えが出来る。(アナログ時代の作品で2枚組みだとA、B面があるので4回)
自身が書いた本と連動したり、他2作と並べて“3部作”と位置づけたり、コンセプチュアルな匂いのするこのマリリン・マンソンのアルバムは全体を4つのパートに分けてあり、アナログ時代での2枚組みアルバムのような意識で作ったのかもしれない。
しかし、その壮大な内容が1CDに詰め込まれているので、1枚を一気に聴こうとするとやはり集中力がもたない。
・・・まあ、全部一気に聴けとは誰に頼まれたワケでもないんだけどね。
技術の進化があれば、人間はその性能をMAXまで使ってしまう生き物だが、それはいつも良いことではない気がする。
詰め込めるからといって、あまり長いアルバムは必要ではない。
と、やっとのことで聴きかえした割には、アルバムの内容、曲調や歌詞の内容にまったくと言っていいほど触れないままだが、もうここらへんで締めようと思う。
なぜなら、この調子で書いてゆくとこのエントリーがどうもダラダラと長くなる予感がするから。
ホーリー・ウッド~イン・ザ・シャドウ・オブ・ザ・ヴァリー・オブ・デス
(2006/05/17) |