ジェフ・ゴールドスミス日記

ファッションとグルメ以外のこと。

A Sight For Sore Eyes

4月3日朝、列島各地を襲う、気が狂ったような風雨の中、私はずぶ濡れになりながら出社しました。さらにいつもと違うのは、会社に行く荷物と別に、ビニール袋でがっちりガードしたスーツと革靴といった荷物。それを手に持っていたのです。私はスーツを着るような職業には就いておりません。スーツ持参なのは、数日前に元同僚から訃報が入った、恩師であるかつての上司、そのお通夜に参列するためです。

もう15年ほど前になりますか。CDショップの新規オープンにともなってスタッフ募集があり、私が臨んだ選考の面接官が、オープンする大型新店の店長となるその方でした。その後私が10年間勤めることとなる会社に、私を採用してくれたのです。前の年まで、私は別のCDショップで働いており、そこが倒産してしまって新たな働き口を探していたのです。面接でCDショップ勤務の経験ありとアピールした私に店長は、「ショップで働いていてよかったと思う瞬間は?」といったようなことを尋ねました。私は、「自分の書いたPOPや、セレクトした店内BGMでお客様がその商品に興味を持ち、買っていただいた時です。直接、お薦めのCDを尋ねてこられるお客さまもいて、こちらのお薦めに好反応があると、とても嬉しいです」といったような感じで答えました。前の会社がなくなってから、何社かCDショップを受けて不採用が続いた私でしたが、このときは自分でも驚くように舌が滑らかでした。これは受かるかもしれないと、かなりの手応えを感じていました。

その面接試験に合格した私は、新しい店の店長とアルバイトという関係で、しばらくお世話になりました。

そして時は経ち、私が昇進する際、本部で行われた試験の面接官が、本部勤務の部長となっていたその方でした。一度目の試験は、落ちました。部長(当時)は、店に来て、バックヤードで私の足りなかったところを指摘し、次の試験ではどうしたらよいかをレクチャーしてくれました。そのアドバイスがあって、私は次期の昇進試験に受かることが出来ました。

さらにさらに時は経ち、私は最初に勤めた店から、店長代行として別の店に出て、部長がまた店舗の店長に戻るという配置になりました。そのとき、仕入か返品か、何かの処理について(かな?)、店長が私に電話をかけて質問してきたことがありました。はっきり覚えていませんが、私がバイヤーとして専門知識のあった、書籍関係のことだったでしょうか。たいしたことないやりとりではありますが、アルバイトで採ってもらった店長にそんなことを尋ねられるのは、なんだか少し嬉しい気持ちになりました。

さらにさらにまたまた時は経ち、私は10年目でその会社を辞めました。勤務最後の日、各店舗や本部の、お世話になった人たちに電話をかけました。もちろんその店長にも。採用や昇進のときのことにも触れ、お礼を言いました。

さらにさらにまたまたまた時は経ち、今度は店長が会社を去ると、同期で入った戦友より知らせが入りました。普段、仕事の人間関係に冷めた感情しか持たない私。まして辞めた会社のことではありましたが、このときはなぜか店に足が向いていました。店長が勤務する最終日の夕方、店長のいる店、そうかつて、私と店長が一緒に働いた最初の店へ挨拶に伺いました。しばし10年前からの思い出話をして、前と逆に私から店長にお疲れ様でしたを言い、私は帰りました。

この挨拶が生前、私が店長と交わした最後の言葉となりました。今思えば、この日に会っておいて本当によかったと思います。

店長が去るとき、すでに大きく傾いていた会社は、しばらくして倒産。この世の中から消滅しました。

そして今回の訃報。

斎場では、悲しみに包まれてお通夜が執り行われていました。しかし、食事の席となると、もうなくなってしまった会社の、こういった機会でもないと集まらない多くの仲間が集い、なかば同窓会と化していました。涙涙から、泣き笑い、最後には笑い笑いの、昔あった、会社の福利厚生費で補助が出る飲み会のような様相を呈していました。店長の上司部下同僚、そして私も含めた、店長が採用したスタッフも多く顔を揃えました。個人の繋げた人間関係がそこにありました。様々な思い出がそこにあふれていました。

さて、ここまで書いてきたが(と、文の一人称と語尾が突然変わる)、人が死んで涙涙の日記を書くというのは俺のスタンスではない。先ほどまでこの話、ここでは触れないつもりだった。俺は肉親が死んでもまったく別の話題をブログにUPするかもしれない。さすがに肉親が死んだら葬儀の準備やらで忙しいと思うので、ストックしてある料理の記事を載せるかもしれない。

が、しかし、風呂に入ってぼんやり店長のことを考えていると、とんでもないことを思い出してしまった。

あれは店が始まった初年度か翌年。だからやはりそれなりの昔。そのある日、閉店してからレジ締めまでの間のこと。フロア担当である俺はレジ作業には関係ないので、自分の仕事が終わると少し時間が空いてしまった。そこでレジカウンターの上に目をやると、マシュマロの袋が置いてあった。価格的にはそう高くない、飾らない感じの(要するに駄菓子的な)マシュマロが。袋は開いており、元の容量から中身がいくらか減っているようだった(要するに食べかけ)。「あ!差し入れ。気が利くねぇ!」と思った俺はマシュマロをひとつ口にした。甘い、マシュマロの味がした(マシュマロなので当たり前)。目の前にマシュマロが現れて思わずパクっと食ってしまった俺が特別卑しいのではなく、こういった差し入れはよくあったのだ。

俺が終礼を待ってると、店長が「マシュマロが一個足りない!マシュマロが一個足りない!」と騒ぎ出した。それを聞いて、俺の頭の中で、無関係に存在していたいくつかの事柄が、クッキリと意味を持った関係性にガッチリと固まりだし、俺は自分の顔から血の気が引いていくのを実感した。

「マシュマロ」「今日は3月14日」「3月14日??」「ホワイトデー」…

カウンターの上に置かれていたマシュマロは、女子スタッフの皆々様へ、店長が買ってきたバレンタインデーのお返し、ホワイトデーのマシュマロだったのである。袋が開いていくつか食べられていたのは、おそらく早番であがった女子に配ったかであろう。そしてマシュマロは、閉店までいる女子スタッフの、ぴったんこ人数分しかなかったのである。

なぜか「マシュマロ」「今日は3月14日」「ホワイトデー」といった記号が、そのとき俺の頭の中まったくつながらなかった。マシュマロは駄菓子のマシュマロでしかなく、3月14日は日付として3月の14日でしかなかった。ホワイトデーが抜け落ちていた。

その事態を、店長がどうやって収拾したか覚えていない。俺は生きた心地がしないまま、一度掃除した床にまたモップがけをして終礼が始まるのを待ち、動揺を必死に隠しながら終礼を受け、退勤した。

店長…ごめんなさい。その一個足りないマシュマロ、食ったのは俺です…

この、どうにもならないような日記を、俺の店長に捧ぐ。