ジェフ・ゴールドスミス日記

ファッションとグルメ以外のこと。

20110311

一年前の今日、震災が起こったその瞬間、俺が何をしていたかというと、自宅でプラモデルを作っていた。パソコンのitunesで音楽を流しっ放しにして。

「あ、地震だ」と気付いて、まあよくあることだし、しばらくはそのままにしていた。だんだんと揺れが大きくなってきたんだけど、いつも一旦プラモデルを作り出すと、トイレに行くのも億劫になるくらい、畳に根が張った感じで腰を下ろしてしまうし、もう足の踏み場もないくらい、床じゅうにお店を広げてしまっているので、座ったまま揺れが収まるのを待っていた。そしたら、納まるどころかもっと大きく揺れだし、しまいには本棚の本は落ち、音楽を聴くために起動していた卓上のパソコンがぶっ倒れてしまった。

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最初の大きな揺れが収まって、とっさに思ったのは「今まで経験したことのない大きな地震だった。でも最大はこの付近じゃなくてもっと揺れた地域がある。関東以北か?東北なのか?」ということ。テレビを付ける前にそれを思った。後から冷静になって考えると、直下型の揺れじゃなかったし、東北地方では数日前から大地震の前触れとなる地震が頻発していたから当然なんだけど。

テレビをつけると、どうもこりゃ広大な範囲で大変なことが起きているらしく、さらにその時点で伝わっている被害の情報は極々一部でしかないという予想もついた。しかし、実体はその予想をはるかに上回っていた。

何度も大きな余震がくる中、夕方ぐらいにスーパーへ買出しに行った。近所にあるうちの一軒は、店内に被害が出たらしく、既に閉店。まだ開いている店で、乾電池と、あと、もし水道も電気もガスも止まったとしても食べられるよに…保存も利くし最悪、調理しないでそのままポリポリかじればいいやと思ってコーンフレークの類をいくつか買ってきたんだっけなあ。

当日は自宅にいたから帰宅パニックには巻き込まれなかったし、東北地方に親戚縁者、友人もいないし、自動車もまあ我慢すればしばらく乗らなくてもいい感じだったので、ガソリンスタンドから続く長蛇の列に並ぶということもなかった。直接的な被害といえば、パソコンが倒れたのと、風呂を入れたら濁った水が出たのと、翌日からスーパーのレジが大混雑だったぐらい。

しかし、しかししかし、インスリン注射があれば普段の生活では飛んだり跳ねたり鼻くそをほじくったり出来る自分ではあるが、もし生活圏内に甚大な被害が出て、手持ちのインスリン在庫が切れて、そのまま入手できない状態になったら、最悪死んでしまうという、災害弱者であるという事実を再認識したしだい。

あれから一年を期に、亡くなった大勢の方に哀悼の意を表し、被災地の仮設住宅などで、いまだ不自由な生活を強いられている方々の回復を願うばかりである。