大槻ケンヂ / リンダリンダラバーソール (2002)
‘80年代後期から'90年代初めにかけて巻き起こったバンドブーム。その狂騒を自身のエピソード、当時活躍したバンド達のこと、そしてその後、一気にブームの潮が引いてゆく様など、あの頃のことをオーケン独特の語り口で総括している。
それまでもオーケンはバンドブームについて、エッセイなどでことあるごとに語ってきたが、これはその集大成といったところだろう。
恋人とのやりとりなどはフィクションらしい。空想の出来事であったり、何人かの女性との間で交わされたエピソードが脳内編集されているのかもしれない。
「第1回の放送中に打ち切りが決定した」と自ら語っている『オールナイトニッポン』にも触れている。オーケンのANNは'88年10月~、と‘90年6月~のふたつが存在する。
一度目に担当した頃はまだ、筋肉少女帯がメジャー・デビューして間もない時期。
いきなりANNの第1部、しかも小泉今日子の後釜。後に各方面でその才能を活かして活躍することとなるオーケンだが、一度目の起用では明らかに空回りが感じられた。
私はその伝説の放送をオープニングから聴いていた。
「オ、オ、お前ら~!オ、オ、俺は~!筋肉少女帯のぉ~!!大槻ぃ~!ケンヂだぁ~!!」
・ ・・と、終始こんな感じだったと思う。
バンドでのライヴと違い、オーディエンスとのコール&レスポンスもないし、たしかにこれは辛かった。
オーケンはよく、「バンドブームとは夏だった」と表現しているが、おそらくこれは当時の熱狂振りと、夏の野外イベントの光景がオーヴァーラップしているのだろう。
しかもそれは1989年夏、ピンポイントで・・・と、解釈してみた。
その前夜から終焉まで数えるとバンドブームは数年間の出来事であるが、’89年の夏はま
さに“世界でいちばん暑い夏”(byプリプリ)だった。
ブーム時、現在のフェス乱立よろしく、バブル経済全盛も重なり、大手企業がスポンサーとなり各地方で野外イベントが開催された。
‘88年にも’90年にも各地で野外イベントは行われたが’89年の暑さ、熱さは特異だったと記憶する。
夏の青空の下、何千、何万とゆうオーディエンスと対峙したイメージが、“バンドブーム=夏”と表現させるのではないだろうか。
この本が出版された2002年(初出は雑誌『ダ・ヴィンチ』での連載1999年11月号~)からさらに時は流れて2010年。現在ではまた状況が変わってきている。
本の中で章を割いて大フィーチャーされているバンドだけを見てみても、JUN SKY WALKER(S)は期間限定ながらも再結成、奥田民生はユニコーンを再結成、X(-JAPAN)も再結成を果たし、そしてオーケン自身も筋少での活動を再開している。
ところで・・・
雑誌『ON STAGE』を覚えているか?
筋少の野外フォトがなかったのでユニコーンだけど・・・こんな感じで眩しい夏だった。
ホコ天・・・
も熱かった。
アスファルトの照り返しも熱かった・・・
リンダリンダラバーソール (新潮文庫)
(2006/08) 大槻 ケンヂ |