ジェフ・ゴールドスミス日記

ファッションとグルメ以外のこと。

ももいろパンチ

WAVE大宮店が本日をもって閉店だというので、お別れしてきました。50%~OFFの投売りワゴンセール状態となっていました。

後期には売り場もだいぶ縮小されてしまい、“想い出のWAVE大宮店”とは見た目が変わってしまっていたので寂しい限りです。

さようなら、ありがとう、大宮WAVE。

これでCDショップのWAVEは消滅してしまった。WAVEの栄光と終焉、バブル、セゾン文化との関係、渋谷系、昨今の音楽ソフトを取り巻く環境の変化…などなどについては、まとめるのが面倒なので止めておこう。

WAVEがもっとも輝いていた頃、1980年代~1990年代初頭の六本木WAVEや渋谷、渋谷クワトロWAVEあたりを俺は体験していない。都内まで出かけてCDを買うにしても、主に新宿、御茶ノ水といったところだったし。渋谷クワトロのWAVEに一度行ったかな?どうだったっけかな?というレベル。ただその後、東京の音楽文化を語る上でその名前はよく見かけたし、先日購入した『ぴあ』の最終号の中にでも、渋谷WAVEのことが取り上げられていたりして、「ああ、やはりそうだったんだなあ」と思う。

そもそも1994年からは、自分自身がCD屋で働くようになっていたので、他の店まで行って何か買うということは少なくなるし、渋谷はちょっと苦手(『マジで恋する5秒前』By広末涼子)、六本木は土地勘さえなかった。

そして大宮WAVE。

大宮WAVEのオープンは1998年。何年かを雑誌、書籍類のバイヤーとして過ごした期間、その仕事自体は楽しかったかな。記憶の中で美化されている部分も多くあると思うけど。

世間的にもCDの売り上げが下降、効率化を求められ、仕事内容はどんどんマニュアル化されて現場バイヤーの決裁権は縮小されていった。しかし、俺だけは治外法権、第13独立部隊的にその流れから逃れて、バイヤー業をこなしていたのであった。

それは何故か?俺が担当していた雑誌、書籍類というのは、全店の中で、他に誰もやっていなかったからである。ただそれだけ。よーするに扱っている店舗が他にないので、全社的なマニュアルを作りようがないのであった。

昔はいくつかの店舗で雑誌、書籍類も扱っていたが、そんな店も閉店したりで少なくなり、たまに雑誌を扱っていてもせいぜいレジの前に『ロッキング・オン』とかがチョロチョロっと、申し訳程度に数タイトル置いてあるぐらいといった感じになっていた。

なので、注文数なり仕事の進め方なり、自分で決めることができたので…そこは楽しかったなあ…

CDの新譜発売に合わせて、そのアーティストの既発関連書籍や、雑誌のバックナンバーをそろえてCDの展開場所に置いて併売すると結構売れていくんだよね。その売れ具合見てんのが楽しかったなあ。ただ、そういうのは「けっこう売れる」といっても50冊とか100冊とか売れるわけでもないから、俺のやっていたことが経済活動的に正しかったかどうかは、知らない!知らないけど、CDの売り場に一味付ける、お新香ぐらいの存在感は出せていたのではないか。

そして恐らく、そこにはまだ「自分の目利きでやっている」という感覚が生きていた。だから楽しかったのだな。

担当していた当時は、CDとは返品を搬出する時間が違うので一人だけ朝が早いとか、CDより重いので腰を痛めたとか、不満タラタラだったけれど、統一マニュアル化から逃れたところで、自分の判断で商品を回せるというのは楽しかった。あんな本やこんな本を見つけて、仕入れて、それがパッとはけるのを見ると嬉しかった。

それがお客さんにとっても少しだけ楽しかったらよかったけど。

そんなWAVEから去って何年、店の歴史も今日で幕引きらしいです。

さようならWAVE。

 

さようなら。

東京大学「80年代地下文化論」講義 (白夜ライブラリー002)東京大学「80年代地下文化論」講義 (白夜ライブラリー002)

(2008/07/23)

宮沢 章夫

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