ZIGGY / YELLOW POP (1992)
デビュー時のラインナップによる最高傑作とされる『KOOL KIZZ』から、長期休養を挟んでのこの『YELLOW POP』は、それまでの音楽性を覆すような問題作で、その混乱は後に松尾、大山の脱退へと繋がってしまう。
『KOOL KIZZ』はメンバー4人の自信とエゴが絶妙のバランスで成り立っていた傑作であり、そんなMAXの状況をその後も続けていくのは不可能に近いので、どこか破綻してしまうのは必至だと思う。遅かれ早かれ変化の時期は必ず来たのだろう。
このアルバムでは作曲者としての森重、戸城両名による競い合いが激しく、森重は所謂“森重節”で攻めているが、戸城作品はビートルズ風などの新機軸で果敢に自分達のパブリック・イメージとの戦いに挑んでいた。戸城自身がヴォーカルをとる『のらねこのKUROくん』はさすがに突飛で常人の理解を超える出来だが、それ以外はどれも意欲作でクオリティが高く、安住を求めない戸城の冒険心、反骨精神が感じられる。
まあそれは今の視点だから言えることだけどね。それに、再現性も含めてライヴで聴いて楽しいかどうかとゆう問題もある。
音楽性の変化も大きいが、『YELLOW POP』に関しては、「この自虐的なジャケット・デザインはどうにかならなかったんか?」と思う。バンド内の混乱が滲み出てしまったような画で、それまでも度々、人を食ったような演出をしてきたZIGGYだが、このジャケットは冗談としてもあまり面白くないし、ジャケット・デザインが秀逸なものならくらか中身の印象も変わったのではないかと思ってしまう。
音楽的なぶつかり合いは避けれらないとして、もしZIGGYにビートルズのブライアン・エプスタイン、レッド・ツェッペリンのピーター・グラントのような舵取り役がいたら、その後の長く曲がりくねった道ももうすこし見通しが良い道程になったのだろうか。
2人体制、3人体制を経て2000年代以降は、本体以外にも森重を軸にいくつかバンドが立ち上がたり本体が活動休止したりまた始動したり、ソロでやったり“こちらではこの人とこの人の組み合わせ”“こちらではコンポーザーとプレーヤーの役割を変えている”など、枠よりもピースの方が多いような、一筋縄ではいかない感じだが、これはそんな状況の“全てを包括してZIGGY”とゆうのが正しい楽しみ方なのだろうか。それだとどうしても、それぞれの持ち味が分散してしまうのがもったいないが、すべて持ち寄って無理矢理詰め込むと壊れてしまうのがZIGGYが持つ音楽的バランスの難しいところでもあり、逆にその難しさが非凡な曲を作らせているのかもしれない。
YELLOW POP
(1992/06/25) |