クワイエット・ライオット / メタル・ヘルス~ランディ・ローズに捧ぐ (1983)
Quiet Riot / Metal Health
小学校から中学校に上がると、聴く音楽もアイドル、歌謡曲やニュー・ミュージックから洋楽にシフトする同級生が現れだした。
“ベストヒットUSA”や“FM STATION”の時代だ。
個人的なことを言うと、“アニメのサントラ”→“洋画のサントラ”→“洋楽ヒット・チャート”という、おおよその変遷だった(クロス・フェードしていたり、入り組んでいるが、おおよそ。)。
■兄弟がいない。(上に兄弟がいると音楽の導入にはかなりの影響が出る)
■家にラジオ、テレビ以外のオーデイオ機器(レコード・プレーヤーやラジカセ)の登場が遅かった。
・・・等などの条件が重なり、洋楽を聴く前に通るはずの“アイドル、歌謡曲”や“ニュー・ミュージック”が抜け落ちている。小川哲哉のラジオ“決定!全日本歌謡選抜”などは毎週日曜日、楽しみにして聴いていたし、小川哲哉のモノマネだってできた。勿論“ザ・ベストテン”も“ザ・トップテン”も観ていたので、アイドルのシングル曲は人並みに大丈夫だが、アルバム収録の曲となるとキビシイんだよね・・・
・・・なんて、また普遍性のない個人的なことを書いてしまったが、とにかくだ!“アニメのサントラ”→“洋画のサントラ”→“洋楽ヒット・チャートもの”ときて・・・まあ“洋楽ヒット・チャートもの”といえば当時はデユラン・デュランでありカルチャー・クラブでありNENAでありマイケル・ジャクソンであったワケだが、私の周辺・・・というか中学校の同学年で「自分は音楽好きだぜ」と思っている男子の間で“洋楽ヒット・チャートもの”を熱心に聴く期間は実に短かった。
ほんの数ヶ月で男子は皆、判で押したように“ヘヴィ・メタル”に移行していくのである。
そして、前にも書いたが、洋楽のチャートものをひとしきり聴いた後に“U2、ジーザス&メリーチェイン、ザ・スミス、アズテック・カメラ”などを聴き出す人間は一っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ人もいなかったのである。もちろん私もそのひとり。
埼玉県に生まれ(極最近まで)鼻を垂らしながら育った私だが、私の生まれたちょうど一年後の同じ日に香川県で生まれたサニーデイ・サービスの曽我部恵一氏が“ロッキング・オン・ジャパン”の3万字インタビューにおいて、中学生のときにエルヴィス・コステロからバディ・ホリーに遡り、ストーンズからオーティス・レディングに行き着き、カルチャー・クラブ、 ジーザス&メリーチェインを足がかりにアズテック・カメラやペイル・ファウンテンズを聴いたとゆうのと、「(地元だと)レベッカのコピー・バンドとヘビメタがほとんどだったので、こんなとこでやってらんないと思った」・・・と語っているのを読んで驚愕した。
おっと、また本題に入るまでが長くなったぜ。
で、同級生の間で吹き荒れた(実際、世界中で売れていたんだけどね)ハード・ロック・インヴェイジョン。
友人から紹介(洗脳)される形で最初に聴いたのは、たしかザ・マイケル・シェンカー・グループの『限りなき戦い 』か、このクワイエット・ライオット『メタル・ヘルス (Metal Health)』だったと思う(やっとそこにたどり着いた・・・)。
目玉はグラム・ロック・バンド、スレイドのカヴァー、『カモン・フィール・ザ・ノイズ (Cum On Feel the Noize)』。
原曲が持つキャッチーさと、ケヴィン・ダヴロウの声質、キャラクターが見事にマッチしており、大ヒットに繋がったのも頷ける。彼の歌は、ロニー・ジェイムス・ディオらの名ヴォーカリストと比べるとワビ・サビの面で一歩譲るが、声量に関してはずば抜けている。聴いていて爽快、痛快だ。
カルロス・カヴァーゾのギター・プレイは、他のLAメタル・ギタリストとは誰とも似ていないような個性的なスタイルで、この『カモン・フィール・ザ・ノイズ』のギター・ソロはまるでスケール練習のようなフレージングだが、これがなんとも耳に残ってしまうのだ。
大ヒット・シングルにしてカヴァー曲である、『カモン・フィール・ザ・ノイズ』の印象が強いが、それ以外も捨て曲がなく、ダレることなく最後まで一気に聴かせる感じにまとまっている。
基本的に“パーティー・メタル”の要素が強いので、“先鋭的な音楽でシーンに一石投じる”感じではないが、聴いていて理屈ナシに楽しいし、洋楽体験の最初期に聴いてからかなりの年月が経ち、音楽シーンや自分の趣味志向が変わっても、普遍の8ビートとそれに乗っかるメロディの強度は変わらない。
翌年にリリースされた『コンディション・クリティカル(Condition Critical)』も、曲自体はそんなに悪いと思わなかったが二匹目のドジョウ的にまたしてもスレイドのカヴァーを入れてしまったのと、メンバー間の不仲、脱退などでバンドは失速してしまった。
不仲がある中で行われた来日公演中、ベーシストのルディ・サーゾはひどい仕打ちを受けていたようで、雑誌のライヴ・レポート(で、彼だけメンバー紹介もされず、スポット・ライトも当ててもらえなかったようなことを読んだ記憶がある。
時は流れて数年前、古くなったカセット・テープを聴き続けるのもなんなので、中古CDでアルバムを買い直した。
頭のどこかに“プラ・ケースの蝶つがい部分が透明なのはリマスター盤”とゆう思い込みがあり、よく確かめないで購入したら、それは単に前の持ち主が破損したか何かでケースを取り替えただけらしく、最初にCD化されたときの品番だった・・・
ガーーン!
長文のわりにこんなオチだよ~ん。
メタル・ヘルス~ランディ・ローズに捧ぐ~
(2002/06/05) クワイエット・ライオット |