ジェフ・ゴールドスミス日記

ファッションとグルメ以外のこと。

Virgin少年に接吻を

デランジェのギタリスト、CIPHERが、機材をマーシャルアンプからJCに乗り換えたのがヴィジュアル系の起源(のうちの重要な事件のひとつ)と以前書いたが、もうひとつ重要な事件がある。

HIDEがXのヴィジュアル面に多大な貢献をしたことは有名な話だ。

メンバーがメジャーデビュー時のラインナップに固定されるまでのXは、音楽性は“スピード歌謡”とか“スピード演歌”などと揶揄され、ヴィジュアル面でもかなりモサい印象だった。

「ファッションセンスが良い」とされるTAIJI加入後のメンバーショットでも、まだ“ラスチャイルド”をさらにトゲトゲにしたような格好をしている。

その写真は、1987年に発行された『ロッキンf別冊 メタル・インディーズ・マニア』に掲載されているのだが、同じ本に載っている、先にブレイクしたリアクションデッド・エンドと比べて明らかにカッチョ悪い・・・

そこでHIDEの登場。横須賀サーベルタイガーも、ヴィジュアル的に洗練されてはおらず“ケバケバメタル”といった感じだが、その中にあってHIDEはX加入後とそう変わらない風体をしている。

鎧のような衣装を着ていたそれまでのXとサーベルタイガーのHIDE、どちらが『VANISHING VISION』リリース辺りのXに近い格好かというと、別のバンドにいたHIDEの方が近いのである。

HIDEが加入しPATAも入り、後にデビューするラインアップで作成された無料配布用ビデオ(『紅』と『Stab Me In The Back』が収録されているモノ)。このビデオに収録されている姿は後のヴィジュアル展開に直結するものとなっていた。

その後の音楽面の充実、ヴィジュアルの変遷、快進撃などは語るべくもない。

YOSHIKIの天才、TOSHIの歌唱があっても、Xはデビュー時の5人がそろわなければあの規模の成功を収めなかったかもしれない。

逆にHIDEが率いていた横須賀サーベルタイガーも、HIDE、Kyo、TETSUといった後にメジャーで活躍をする3人を輩出してはいるが、バンド自体は大きな評価を得ることなく終わってしまった。

そこにもうひとつ、TAIJIがいたディメンシアを加えると“関東3大粗大ゴミバンド”と呼ばれていたバンドがそろってしまうわけだが、“ゴミバンド”と称されるバンドからメンバーが選抜されると、東京ドームを何度も満杯にするバンドになるところが興味深い。

そんな3バンド、「どのグループも時代的に正当に評価されなかっただけで実は当時から凄かった」というよりは、そこから集ったメンバーの化学反応、組み合わせの妙で大爆発が起こったのだろう。

前置きが長くなってしまったが、もっとピンポイントな出来事が今回の本題である。

インディーズ・メタル・シーンのピーク、1987年夏に開催された『HEAVY METAL DAYS Vol.6』(この年、Xは出演していない。翌年に出演)。埼玉会館大ホールに入場し、席に座ろうとすると各シートには1冊の本が置かれていた。

ジャパニーズ・メタルの同人誌『ランダム』だ。

ハード・ロックンロール系バンドを集めた特集ページでは、後にザ・イエロー・モンキーとなる4人全員がまだ、それ以前のバンドで掲載されていたりする。

そして『リレー対談:友達の輪!』という企画で、サーベルタイガー解散直後のHIDEがXのYOSHIKIを紹介するといった形で対談をしているのだ。(HIDEが誰の紹介かは不明)

対談の内容自体は、“打ち上げで酔って暴れた話”や、当時Xのライヴに登場していた“オバケのQ太郎”の話題など、たわいもない話だが、この対談が行われてから校了するまでの間に“引退して美容師になる決心をしていたHIDEをYOSHIKIがXに誘った”という有名な加入劇があり、ページ内に「この対談後、なんと(HIDEが)Xに加入!!」とゆう文字が躍っている。

当時は「ふ~んそうなんだ、サーベルタイガーのリーダーがXに加入か、北海道じゃなくて横須賀のサーベルタイガーね。」ぐらいにしか思っていなかったが、これが後にメガ・バンド・・・Xへと繋がっていく。

もちろん対談以前に親交のあった両人だし(そもそもそうゆう企画だ)、この対談がなくてもYOSHIKIはHIDEを誘っただろう。

しかし、この“喫茶プリメーラ”で行われた酒飲み話が後のシーンに多大な影響を与えるラインナップの完成を導いたと考えてみると歴史の分岐点に立ち会ったようで感慨深い。

立ち会ったつうかタダでもらった本に載ってただけなんだけどね・・・

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(2001/09/05)

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