僕が中学生だった1985年、茨城県で『国際科学技術博覧会(TSUKUBA EXPO '85)』が開催された。
それ以降何度か日本で“万博”と名のつく催しが開催されたが、それらと比べてもこの万博はかなり盛況で内容の評判も好評だったと記憶する。
同級生の中には、何度か行ったとゆうリピーターもいた。
僕は、お盆に一度だけだが、従兄弟の一家と一緒に行ったのだった。
何十年も前の、ある一日の服装なんて学校の制服か野球のユニフォームでもなければ覚えていないことがほとんどだが、この日僕はグラハム・ボネット率いるハード・ロック・バンド、“アルカトラス”のTシャツを着ていたことをはっきりと覚えている。(まあどうでもいいことなんですけどね。五分刈り坊主頭でメタルTシャツだよ・・・買ったのは御茶ノ水にあったダブル・デッカー)
“EXPO'85日立グループ館”や“東芝館”などの人気パビリオンは長蛇の列で、入るのを諦めた。比較的空いているパビリオンばかり廻っていたと思う。なので、近未来を具現化したような科学万博の真髄はほとんど体感できていなかったかもしれない。
催事施設の“エキスポプラザ”では、コンサートが行われており、日本のキーボーディスト第一人者、難波弘之率いるセンス・オブ・ワンダーのステージを観ることが出来た。
観覧は無料なため、子供から老人までいる客席のほとんどはステージ上にいるのが誰だかすら分かっていないようだったが、NHK教育で放送されていた楽器口座『ベストサウンド』を観ていた僕は、予期せぬセンス・オブ・ワンダーとの遭遇に喜んだ。
余談だが、難波弘之氏はその後、レッド・ウォーリアーズが1996年に再結成したときにサポートを務めたのだ。
当時マイクスタンドでの歌唱に挑戦して話題になっていた演歌の女王、都はるみやラッツ&スターのライヴも行われた。ライヴ会場に入って生で観たのはセンス・オブ・ワンダーだけで、他のライヴはソニー製の巨大な“ジャンボトロン”に中継されている映像を観ていたと記憶する。
夜、引率していた親戚の大人たちと別れ、帰りの時間までしばらく行動とあいなり歳の近い従兄弟と会場内を歩いて、最後には芝生スペースに寝転がってみた。
夜空に、何処からか照射されるレーザー光線が走っていた。
辛かった野球部での活動も終わり、高校に上がる来年からはギターを買ってバンドを組もう・・・
聴こえてくるラッツ&スターの歌を遠くに聴きながら、天空に走るレーザー光線を眺めていると、これから何かいいことが起こるような気がしていた。
・・・と、もっともらしい心象風景で締めると見せかけて、今日はここまでが長い前置きである。
諸君は“科学万博ポストカプセル2001”を覚えているだろうか?
万博会場でハガキを書いて設置されたポストに投函すると1985年から時を越えて2001年の元旦にハガキが届くとゆう代物である。
中学生の自分から、大人になった自分に届いたハガキがこちらだ。
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中学生の自分よ。よくやったと言っておこう。
「未来の僕、元気ですか?張っていますか?夢は叶いましたか?」なんて書いていたら最悪。即刻の切腹ものであった。
お返しに、中学生だった自分に声をかけてあげたい。
「安心してその道を歩め。その後何十年経ってもお前はまったく成長しないぞ」と。
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