とんねるず×吉川晃司 / RAIN-DANCE西麻布 (1985)
1985年にとんねるずがヒットさせた『雨の西麻布』。
そして同じ年、『雨の西麻布』と同じ9月に発売された吉川晃司の『RAIN-DANCEがきこえる』・・・
その、一見あまり接点のないふたつの曲についての話である。
当時、文化放送のラジオ番組『吉田照美のふッかいあな』の中において、とんねるずは番組『とんねるずの二酸化マンガンクラブ』を持っていたことは以前にも書いた。(つい『吉田照美のてるてるワイド』と書いてしまいそうになるが、1985年4月に番組名が『~ふッかいあな』)に変わっている。
とんねるずが22時台、そして23時台には吉川晃司が『吉川晃司のこわれた夜にSHAKE DOWN』とゆう番組を持っていた。
そこで『雨の西麻布』を素材とした奇跡のコラボレーションが実現する。
ムード演歌調の『雨の西麻布』を、吉川側の音楽チームがアレンジ、吉川のヒット曲『RAIN-DANCEがきこえる』風に変えてしまったのである。
(本家『RAIN-DANCEがきこえる』の編曲担当でとんねるずの曲も多く手がけることとなる後藤次利までがアレンジに参加したかどうかは記憶にない・・・)
同じ放送の中で互いに番組を持ち、交友関係もあった2組。細かい経緯は覚えていないが、番組の収録日に文化放送入りしていたついでに生放送枠で共演、その場の流れで「やろうやろう」となったとか、そんな流れだったと思う。
演奏はその場でいきなりではなく、ちゃんとしたレコーディングでオケが作られた。
そして、アレンジされた『雨の西麻布』が披露される日が来た。
エレキ・ドラム、チョッパー・ベース、チャカチャカと刻むギターのカッティングといった『RAIN-DANCEがきこえる』のフォーマットを駆使して、『雨の西麻布』をハードなファンク・チューンに変身。ニュー・ヴァージョンのその曲は『RAIN-DANCE西麻布』と名づけられた。
歌うとんねるずも、吉川調の歌い方でキメていた。たしか、そんなに気張った企画ではなく、軽いノリで実現したセッションだったが、予想以上にハマっていたと記憶する。
そして、その日は偶然、何か賞レースのテレビ中継が文化放送に入っていた。(と、いうことは秋から冬のことだったか・・・テレビの生放送とゆうことで『ザ・ベストテン』の可能性もあるが、たしか『有線放送大賞』などの賞関係だったと思う)
そこでとんねるずは『雨の西麻布』を歌うことになっていて、どうせならせっかく作った『RAIN-DANCE西麻布』を歌いたいところだが、ラジオの企画と関係ないテレビ中継ではそうもいかない。
そこで、「オケはそのまま『雨の西麻布』で、歌い方だけ、吉川風にしちゃおうぜ!」となった。
ムード演歌風のバックに乗せて、サングラスをかけたとんねるずのふたりは「ふつぁるぅいのぬぃすぃあざぁ~ぶぅ~♪」と、口調、アクションも込みで吉川になりきって歌って見せた。
「これはラジオを聴いていないでテレビを観た人はなんでこんな歌い方してんのか分かんないよね~」といって笑っていた。
もちろんこの曲は正式な音源として残っていないし、2010年の今、ネット上にもまったくといっていいほど情報がない。「誰か知っている者はいないかな?」と思いツイッターでつぶやいたがはっきり知っているといった反応はなかった。
吉川晃司といえば『夜のヒットスタジオ』での、アン・ルイスとの共演が衝撃的だったので有名だが、こちらを知っている人間はどれくらいいるのだろうか。
『~二酸化マンガンクラブ』は何度かエア・チェックしたがこのときは残念ながら録っていない。
今回の歯切れの悪い文章でも分かるように、私の記憶にも曖昧なところがかなりある。アレンジするのが宿題になっていたのか、突然吉川がサプライズで持ってきたのか・・・その辺もちょっと自分の中であやしい。
音源も紙やWeb上の資料もない今となっては、2組の間で交わされたやりとりのディティールもぼやけて、彼方に浮かぶ蜃気楼のようにおぼろげな記憶になってしまっている。
しかし、あのとき、AMラジオの電波に乗ってスピーカーから流れた『RAIN-DANCE西麻布』という奇跡が存在したことは確かだ。
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(2005/03/24) |
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(2005/02/23) 吉川晃司 |