今更ながら買ってしまった・・・『孤独のグルメ』
どのくらい今更かとゆうと・・・この、文庫版の初刷りでさえ2000年のこと。
10年前か・・・
以前からその存在自体は知っていたのだが、では何故買わなかったかとゆうと、 私には“マンガ本を買う”とゆう習慣がほとんどないからである。何度かブログに挙げたマンガは数少ないコレクションである。
「ではマンガではなくビジネス書、自己啓発本、年収10倍UPのなんちゃらみたいな本を読んでいるのか?」と問われればもちろん読んでいない。そうでなければ名作文学?・・・カミュ、ドストエフスキーなど、数冊読んだが何が書いてあったのか一切思い出せない。おそらく眼で字を追うだけで精一杯だったのだろう。
そんな余談はいいとして、何故に今『孤独のグルメ』を購入したかとゆうと、フェロモンさんの『高円寺B級ハイスクール』に書いてある記事を呼んだからである。やはりどうも面白そうだ。
Amazonで中古を購入したのだが、本体198円、送料込みで538円。文庫だから新品でも税込み630円か・・・あまり安くなってないや。
まあいい。本題に入ろう。
さすがカルトな人気を誇るこの作品、第1話から度肝を抜かれてしまった。
何処で昼食をとるか考えているところから、入店、注文、食事中と、中年男の頭の中に起こっていることの細かな心理描写が凄い・・・とゆうか凄くどうでもいいことを逐一描写していて、それが最高。
食事を済ませてのエンディング、「明治通りでタクシーが来れば乗ろう。来なければ地下鉄の三ノ輪駅に出ればいい・・・」が最終コマって!何なんだ。
炎天下の神宮球場、甥っ子が出場する高校野球を観戦しながらウインナーカレーを食べる場面では、暑いときに食っているのがカレーなので暑すぎて味が分からない。話の軸となるはずのカレーについてはそれ以上言及せず、汗だくになって甥っ子を応援する場面が続きカットアウトするように終了・・・
一見どうでもいいとも思える心理描写がこのマンガの魅力なので、少しでも過剰な場面、別れた恋人との回想シーンや不快な店主との格闘シーンが余計に思えてしまうほどだ。
全18話。中には私が訪れたことのある街、好きでことあるごとにふらりと行ってしまう街も描かれている。
劇中に登場する店や食事の体験となると難しいが、唯一私が実際に食べたことがあるのは“肉の万世のカツサンド”。(劇中では“肉の万世橋のカツサンド”と変えてある)
ヘッドフォン・ステレオを購入するために訪れた秋葉原の街で、小腹に空腹を覚えた主人公の井之頭五郎は食事をしようとするが、今より飲食店が少なかった時代の秋葉原で途方にくれていると、“万世のカツサンド”の存在を思い出す。
カツサンドを購入した井之頭五郎は駅前の公園に座りカツサンドを食べ、心の中で一言感想をつぶやき・・・終わり。
・・・終わりか。
そういえば井之頭五郎がカツサンドを食べるために腰を下ろした秋葉原駅前のバスケットボールなどを嗜むスペースは再開発によりもう存在しない。
私があのカツサンドを食べたのはもう何年前になるだろうか・・・
井之頭五郎は徒歩でふらりと立ち寄ったが、私は自宅から車で昭和通りを南下。秋葉原に着いて万世の近くに停車、ヒラリと車から降り立ち素早く店内に入り一寸の迷いもなくカツサンドを注文。それを受け取ると疾風のように車に戻り、靖国通りを使って九段下へ。
日本武道館前の駐車場に車を入れ、自動販売機で飲み物を購入。
自宅から幹線道路を2つしか使わない、距離はかなりあるが、大まかに言ってしまえば一度右折するだけでたどり着いてしまう都会のオアシス、北の丸公園。
北の丸公園のベンチに座り付属のウェットお絞りで指先を拭いた後、青空の下、私はまず箱の角にあるカツサンドをつまんで、パクリと頬張った。
キャベツが入っていないので栄養バランス的には偏っている気もするが、一食ぐらいならとりたてて問題ないだろう。パン、カツ、ソースといったシンプルな構成は食材それぞれの主張をより強固なものとしている。
口に入るのは終始カツサンドなので、途中缶コーヒーを流し込み変化をつける。パン食なので乾きがちな喉を潤すとゆうことも兼ねてだ。
ほどなくカツサンドが入っていた紙箱は空になった。
武道館の駐車場は、入庫から3時間までは駐車料金が変わらない。食後しばらく座っているなり公園の芝生に寝転がって休んでもいいし、武道館や靖国神社の周りを散策してもいい・・・
口の中に広がるソースの風味と分厚いカツの食べ応えの残像に、私は得体の知れない奇妙な満足感を味わっていた。
・・・って、ズバリこれこそどうでもいい心理描写、どうでもいいブログ記事じゃないか。
孤独のグルメ 【新装版】
(2008/04/22) 久住 昌之 |
孤独のグルメ (扶桑社文庫)
(2000/02) 久住 昌之谷口 ジロー |