ジェフ・ゴールドスミス日記

ファッションとグルメ以外のこと。

ロック・ウィル・ネヴァー・ダイ

“わじん”

中学一年のとき、俺とそめけんのいるクラスに、“大阪帰りの転校生”、わじんが登場したときの光景は今も覚えている。担任の教師に自己紹介を促されたわじんは、両の腕を大きく開き、その腕で教壇の端と端を前のめりにガシと掴み、低く抑えたトーンで「俺がぁ、大阪から来たぁ、わじんでぇす!」と、挑発的な、嵐を呼ぶ自己紹介をかましたのであった。そんな登場だから、席につく際、我がクラスの松浦悟こと、沖田のヒロくん的な人物に足を引っ掛けられて転び、大喧嘩を始めた。ということもなく、すぐクラスに溶け込んだと思う。

わじんは元々、こちらの小学校に通っており、親の転勤に伴い大阪へ行き、中学になって帰って来たのであった。俺は隣の小学校だったので初対面だが、必然的に学年の何割かは小学生時代を共にしていたので、周りとすぐに打ち解けた。

SF映画、香港映画、プラモデルなどの共通キーワードで、俺とそめけんにわじんが加わり、仲良しトリオとなった。

我々は、悪いズッコケ三人組よろしく、中学校生活を満喫していたが、昨日書いたように、青春のサンドペーパー、目の粗い摩擦により、そめけんと決別してしまった。トリオ編成からコンビとなった俺とわじんは、世のヤンキーたちが行う不良行為とはまた一味違った、非ヤンキーな悪行をはたらいていた。我々は学校の帰り道、通りがかる家で飼われている小型犬を、なでなでとかまうのが日課となっていた。二人がかまうので、犬は我々が来ると、尻尾を振って近づいてくるまでになついていた。ある日、「コレをこうやったら、コレはどうなってしまうんだろう?」と、犬のアレを、こうしてこうして、こんな感じでこうしてみた。すると、犬のアレは、こんな感じになってきたのである。それを、下校の度に繰り返していたら、なんと犬は、我々が通るだけで、アレをこんなポークビッツにして喜ぶようになってしまた。これがホントの、パブロフの犬

そんな微笑ましい余談はさておき、趣味趣向において、わじんが俺に与えた影響は大きい。考えると、その後の人生が変わったといっても過言ではない。わじんは、ワルサーPPKのモデルガンを持っていた。それは、いかにも“小型の護身用拳銃”といった感じで、興味を引いた。「モデルガンで何の護身だよ!」なのだが、それを言ってはおしまいなので、気にしない。俺は、ためた小遣いでデトニクスのモデルガンを購入した。コルト・ガバメントでないところがひねくれてる。

大阪帰りのわじんは、スターウォーズのフィギュアをた沢山コレクションしていた。大阪だから売っているというわけはないが、舶来のおもちゃを集めるというのは、今まで周辺にない文化だった。たしか、そめけんと同じく、わじんともガンプラ他、リアルロボット路線のプラモデルで盛り上がったはずなのだが、ビジュアル的にその記憶が蘇ってこない。ないはずはないのだが、実際どうだったのだろう?って、知らないよね。

そして、わじんが俺に教えてくれたのが、音楽である。それまでの趣味とリンクした、ジャッキー・チェンの映画やスターウォーズのサントラから始まり、デュラン・デュラン、NENAやらカルチャー・クラブやらの洋楽ヒットチャートものへと進み、そこからHM/HRへとシフトしていった。マイケル・シェンカーも、クワイエット・ライオットも、わじんを経由して知ったのである。『FM STATION』を読むようになったのもそうだ。 俺は一人っ子なので、中学生がちょっと背伸びをするような趣味には疎かった。わじんだって長男で、妹がいるだけなのに、そのアンテナってどうなっていたのだろう?

今とは音楽ソフト小売店の勢力分布図が大きくことなる時代、秋葉原石丸電気などを回って輸入レコードを買うのはもう冒険だった。知識のない俺は、ただわじんの後について行くだけだった。輸入盤の12inchiシングルや、ピクチャー・レコードなど、近所では手に入らない、甘味な響きのアイテムを、わじんは物色していた。

「高校に行ったらバンドを組もう」と二人は話していた。わじんはギター、そうすると、俺はベースだ。ん?ツイン・ギターとか、そういった話は出なかったな。今の少年少女は、中学生のうちから楽器を買ってバンドを組んでいたりするのだろうか?まあ、そういう時代だったのだ。当時は。二人は、雑誌に載っている楽器の広告や、メーカーのカタログを見ながら明日の姿を夢想していた。

二年生に進級し、別のクラスになっても、我々の友人関係は続いた。しかし、決別のときは突然やってきた。よく行く中古レコード屋でレコードを見ていた二人。俺はとくに買うつもりがなかったので、わじんが選んでいるのを待っていた。ところが、わじんは何分経っても買うものを決めない。どれくらいだったか、ちょっとありえない時間が過ぎた頃、俺は「まだかよ遅いんだよ!」と怒ってしまった。わじんもそれに対しキレて、どうしたんだっけ?俺が一人で店を出たのかな?翌朝、「かなり気まずいけどいつものように登校するため、迎えに行こう」とわじん宅を訪れると、すでに別の友達と一緒に家を出た後だった。「そうかいそういうことかい」と思い、一人で登校。そこで我々は絶交となってしまった。後から思うに、わじんは中古レコード屋で、何を買うか決めかねて長い時間迷っていたのではなく、俺と喧嘩して決別するきっかけを待っていたのかな?別のクラスになり、見えないところで友達の相関図も微妙な変化があったのかもしれない。そうすると、濃い友人が限りなく増殖するのではなく、一定のキャパシティから俺がこぼれる番が来たということだったのかもしれない。

わじんと決別した俺は、中学校の三年生をまた別の友人たちと過ごし、高校受験に合格したタイミングで、わじんと組むためのベースではなく、エレキギターを買った。高校に上がってバンドを組み、そこでギターを弾いた。一方のわじんも、同じ高校に進み、ギターを弾いていた。が、しかし、どこでどう変わったのか、わじんがギターを弾いていたのはロック・バンドではなく、吹奏楽部だった。ギターに関しては、スティーヴ・ルカサーに傾倒していた。吹奏楽部とルカサーというのは特に関係性はないが、当時のロック小僧たち多くがイメージする活動ではなかった。

そめけんのときと同じように、わじんとも決別して何年か口をきかずに過ごしてしまった。二年生のときに、ちょっとしたことをきっかけに二人は和解。ただ、クラスも違うし、ロック・バンド勢とはちょっと文化圏が違う感じで、合えば挨拶とちょっとした話をするぐらいの仲だったか。

高校卒業後、街でばったり会ったのをきっかけに、一度俺の部屋に招いて、近況というか、今はどんな音楽を聴いているとか、そんな話をしたと思う。と、思うというのは、ここら辺の記憶がかなり曖昧なのである。それくらい、記憶の奥底を掘り起こさないと出てこないわじんであるが、俺が高校卒業後、十何年にも渡ってバンドでギターを弾いたり、CD屋に勤めて生活していたのだから、俺にギターや洋楽を紹介したわじんには、やはり大きな影響を受けているのだろう。中学以来、モデルガンやスターウォーズ関連のトイには手を出していないが、おっさんになった俺は今、ガンプラを作って休日を過ごしている。 わじんやそめけんと遊んだ中一の頃あから、根本は変わらないのである。

うわーとりあえず、これはもうシリーズ化すんのはやめよう。いいことだけでなく封印していた嫌なことも同じ数掘り起こすのってすげーしんどい。つうか、この記事って誰も欲していないテーマじゃないか。誰だよお前。何セラピーだよ?

明日からはいままで通り、株とFXについてだけ書くよ。

そういえば、感じの悪い決別となった俺とそめけん、俺とわじんというラインは、高校に上がってから一応の和解を果たした。そめけんとわじんはその後、関係を修復したのだろうか?今度、街でばったり会ったら聞いてみよう。どちらとも15年以上は会っていないから、ばったり出くわす可能性は低い。

Built to DestroyBuilt to Destroy

(2009/03/03)

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