ジェフ・ゴールドスミス日記

ファッションとグルメ以外のこと。

吸血鬼のブルース

「夏に、夏にちゃんとお別れ言わなくちゃ…」と、私は始発電車で旅に出た。

青春18きっぷ”のラスト一日分を使うのだ。それで、今年の夏とお別れしよう。

地元駅を始発で出たはいいが、18きっぷの出発点となる南越谷に行くと、人身事故のため、武蔵野線が運転見合わせとのこと。振り替えの乗車券を受け取り、急遽東武線で北千住まで出るコースに変更。携帯電話で乗り継ぎ検索するも、当初の予定より一時間も遅い到着時刻しか出てこない。電話を逆さまにしても、振ってみても同じ。今日の旅は、『山手線一周の旅』ではなく、日中ほとんど、一時間に一本というダイヤで運行しているJR外房線の旅なので、それまでの乗り継ぎが数分狂うと、最終的に約一時間の遅れになってしまうのであった。

北千住、錦糸町、千葉と回って、外房線に乗り込む。千葉駅を出る時点では、フツーの通勤列車といった装いである。

 

蘇我、木更津と進んでいくうちに、車内は空いていった。木更津より先はボックスシート独占状態となる。上総湊を過ぎると、列車は海沿いを走る。浦賀水道を挟んだ向こうは、先日18きっぷで行った三浦半島だ。ポケットラジオのチャンネルをてきとうに回していたらFM横浜は入ったので、それを聴いていた。そして、始発で出てきたので列車の揺れに身を任せて眠ったり、文庫本を読んだり、鼻をほじったりして過ごした。

考えていた予定より一時間遅れで館山に到着。暑いは暑いが、内陸部よりは2~3℃ほど気温が低い。午前中くらいなら日陰に入るとけっこう涼しかったりする。

館山駅を出た私は、海ではなくその反対方向へと歩き出した。背後で誰かが「違う!そっちは海じゃない!」と言ったが私は止まらなかった。そこに居合わせたジイもバアも、乳母車に乗った赤ん坊までもが「海でねえ!海でねえ!」と叫んでも私はかまわず歩き続けた。

そう私は、読みかけで持ってきた文庫本を、行きの電車内で読み終えてしまったので、帰りのためにと館山のブックオフに出向いたのであった。だから一旦、海と反対に歩いたのであった。ひゃくごえんの文庫を2冊購入した。

このくだりは必要な文章ですかね?

オフシーズンになり、さらに平日の海水浴場は人影もまばらだった。釣り人がぽつりぽつりと見えるだけである。海上自衛隊の航空基地があるため、ヘリコプターがひっきりなしに旋回していた。

9月の砂浜、誰が書いたか波打ち際のlove letter

海の家は極々一部営業中だったが、ほとんどは閉まっており、絶賛解体中の店もあった。正しい“夏のぬけがら”がそこにあった。海の家に限らず、地場っぽい飯処が見当たらないので少し歩いてイオンで昼食をとることにした。館山まで来て、寄った店はブックオフとイオン。

内房線を少し北上。岩井駅で降りる。館山と比べると多くの民宿が立ち並び、完全に海水浴場観光の街。

岩井海岸には、保育園だったか小学校低学年の頃だったか、何度か泊りがけで来たことがある。夜に浜へ出て、打ち上げ花火を観た記憶もある、あれは8月上旬にある、岩井の花火大会だったのかな?我がお婆ちゃんとも来たときあったっけ?お婆ちゃんが死んだのは90年代になってからだが、記憶中ほとんど、とくに病気ではないが高齢なので、一緒にお出かけといった思い出はほとんどなく、みんなの帰りを家で待っている感じだった。とすると、岩井海岸が数少ない旅行の思い出で、このことは今日帰宅してから、たった今思い出して、なんかすごーくこみ上げてくるものがある。が、しかしなんせ30何年前の記憶なので、他の海水浴場と思い出を混同したりして!もしかして勝浦だったり。

誰に宛てたか、岩井の浜にも砂に書かれたメッセージ。夏の終わり、センチになっちゃったわ…

蜃気楼のように浮かぶ思い出にずっと浸っているわけにはいかない。というか単に打ち寄せる波以外、何もなくなった季節外れの海水浴場を何時間も眺めていられないので、私は再び、一時間後に走ってくる内房線に乗り込み、帰路についたのであった。断片的な記憶を頼りに、まだ10歳にもなっていなかった昔の自分との決着をつけに来た。はたして決着はつけられたのだろうか。いろいろなものが変わってしまった気もするし、何も変わっていない気もする。考えるほどに分からない。ただそこには、岩井の海岸だけが確実なものとして広がっていた。

で、房総半島をはるばる下って、結局今日やったことといえば、砂にいたずら書きをしたってこと、それだけなのであった。

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